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霊能者は騙すつもりで

霊能者は、騙すつもりで騙している人が多分、思うより少ないです。

明らかに騙すつもりの人も多く存在しますが、人の役に立ちたい、自分の能力を役立てたいという気持ちからお仕事にしている方ももちろん多く存在していて、ただ、残念なのは「自身の能力を正しく理解していない」パターンが多く、極論で言うと、10箇所のユタに視てもらうとすると、10箇所とも違う事を言う事は多々あります。

なので、確信を持ちたくて、とか前回うまくいったように感じたから、、という気持ちで何箇所かのユタを巡れば巡るほど、混乱になってしまい、問題は解決しないし、お金はどんどん減っていくし、、という悲惨な事になってしまいます。

沖縄では、医者半分ユタ半分、というバファリンのCMみたいな言葉がありますが。

お年寄りだけでなく、能力の強い人やその家族と住む方は方角や呪文、ご馳走の供え方や日付に詳しかったりするんですね。

結構日常に溶け込んでしまっています。

ただ、神も私たちも、備わった能力や、与えられた役割さえ、使いこなせてない人が多く存在する現状で「できているつもり」でやっちゃう人がたくさんいます。

例えば、火の神という台所の神さまがいて、その神は普段は家内安全、交通安全、夫婦和合、親兄弟和合、など細かな事までたくさん拝まれてしまっていますが、「台所の神さま」「かまどの神さま」なんですよ。

「荒神」と書いてあるお札がお家に貼られている家庭は沖縄でなくても結構いるのではないかな?

沖縄では「仏壇からご先祖に色々な報告をする事は出来ないが火の神さまのところからご先祖に色々な報告をする事が出来る」とされていて、毎月1日、15日など、日を決めて拝む人もいるし、毎日拝む人もいます。

花や塩や水やお酒、香炉を置いて線香を燃やしてお祈り、、という事をする方がたくさん存在しますが「なぜそうしたらいいのか?」とか「なぜ、仏壇からはご先祖に繋がらなくて、火の神からは繋がるのか?」の説明が出来るユタに会った事がありません。

「そう言われているから、そうなんだよ!」とさも、そんなの常識だから聞いてくるな!という感覚で返される事が多いです。

役割や、やるべき事に対してもそうです。「そうだから、そうなんです」では通用しませんよね、普通。

スピリチュアルなお仕事をしている方や、能力者として働いたり人助けをする方もそれを信じたり敬う方にも多いんですけど、こうだから、こうなんです。というフレーズに対し反論しちゃいけない空気を読んでしまう方多過ぎる。

あたしが胡散臭いって思う一番の理由はこれです。

きちんと説明が出来ない。

なので、あたしと出会うお客さまには「良いユタ、悪いユタ」の見分け方のひとつとして「火の神について」尋ねると良いよ、とアドバイスしています。

ちゃんと神々と対話したり、能力でキャッチしたものをそのままお客さまに伝える事が出来るかどうか?判断材料になると思います。


私は「 教祖を信者が作る 」という事もよく伝えています。

例えば火の神さまについての能力が長けている=理解をきちんとしていてご先祖とつなぐ事も出来る。

火の神さまに詳しく通じる人がいるとします。それが出来るからと言って、じゃあ、土地について長けている(地鎮祭や土地の神との対話が出来る)かどうかはわからないんです。神々も能力者も基本的に、得意、不得意があり、出来る事がなんでも出来る、オールマイティな方はごくわずかなんですね。

でも、お客さまは「騙す霊能者」の存在があるのも知っているし、第一お金を払うのだから失敗したくありません。そもそも、失敗なのか成功なのか?視えない世界の事なのでわかり辛かったりするんですね。

だから、一度お世話になったユタのおかげで土地の雰囲気が良くなったり、家族の様子が明るくなったり良い方向に進んでいくと「このユタは本物だ!」と思い、次の問題が起きた時、また訪れるようになるんですね。

で、ユタサイドが前回は得意分野だったけど、今回は全くわからない事を依頼された、とします。

断りにくいんです。断る事によって、前回の信用まで落としてしまったり、プライドもあるのかも知れないし、じゃあどうするか?というと、お勉強します。

線香が何本必要で、こういう呪文が必要で、こういう効果があるんだ、というお勉強ですね。

そして、行います。

お客さまは「やっぱりこの方すごい」と信じる気持ちを強くし、ユタは「間違っていないから倒されてない(バチが当たっていない)」となりますが、神さまは罰を与えるという概念がそもそもなく、神々の世界に触れたりする事で跳ね返りや熱を出してしまうとかそういう事がない限りは、「出来ないと思っていたけど出来るようになった」と錯覚します。二度、三度と繰り返す内に「かもしれない」は確信として自分に刻まれてしまいます。

この繰り返しが起きると、出来る範囲を超えてしまう能力者が出来る範囲を勘違いしたまま高い位置に登る事になり、お客さまはその方に依存したり頼り切る形を取ったりしていきます。

信者が教祖を作る、はどちらが悪いではなく、人が脳や感情フィルターを通して起こす悲劇なんです。


盲信は自由やお金を奪います。それから何故か「やらなきゃいけない」不安や恐怖も植え付けられます。

視えない世界の能力は、現在をもっと生きやすく活きる為に活用出来るならしちゃった方が良いけど、実際は特別意識を強く持ってしまい、地面からどんどん浮いてしまう事が多々あります。

なので「知る」をする事をお勧めします。また浮いてしまった能力者にならない為に推奨しているのは「出来ない事を出来ない」という勇気を持つ事、嫌われたくなくて、人の役に立ちたくて、頑張っちゃう優しい心からのスタートかも知れない。でも出来ない事を出来ると言ってお金をもらうのは犯罪なんです。

神と対話出来るならとことん神に伺いながら。自分をどんどん知っていって欲しいなって思います。

能力者同士ってあまり、情報交換をしません。どちらかというと孤立している方が多い。それは何故か?

一番は自分の持っている概念を否定されるのが怖い。二番は他人の持っている概念を否定するのが怖い。

自分は頭おかしいのかな?と一度は不安になるお仕事を、どうしても人助けや役に立ちたくて続けたくて自分を正当化しちゃう方がたくさんいて、それは自信に繋がるし、実際それで助かる方がいるのならば、悪い事だとは思わない。

 

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