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愛ってなんだろう?

愛ってなんだろう?

そんな風に感じた事ありませんか?

私は今も毎日感じています。

生命と生命は愛を築く事が出来ます。

愛を築きながら絆を深める事が出来ます。

絆を深めながら軸を持つ事が出来ます。

軸を持ちながら土台を創る事が出来ます。

愛の形を追いかけていた時期がありました。

物質の世界にいる私たちはどうしても形がある方が理解しやすく、安心安定に繋がります。

愛がわからなかった私はそれまで、一方的に投げ付けてく「 愛の無差別テロ 」をしながら生きていました。

相手を選ばない、手段を選ばない愛を投げ付ける事で一見「 良い人 」と思われて好かれてきました。

そうする事で「 必要とされている感 」や「 生きていていいよと許可されている感 」を味わう事をして来たのだと思います。

どんなに理不尽な目に遭っても許していました。傷付く事に慣れて生きていました。

存在してはいけない、と自分に対して縛りを与える事で「 人を嫌う、憎む 」事が出来ない大人になりました。

愛される事を許可していませんでした。

なので、一方的に一方的な愛を与えるやり方しか出来ず、自分を許さないので、自己満足すら出来なくって。

私の「 無差別テロ 」の愛は薄っぺらくて瞬間的に幸せにする事が出来たとしても継続的に幸せにする事が出来なかった。

能力者として生き始めた2011年10月からはただひたすらに働き続けました。お金をもらう事に抵抗があり、働いた、とは言い辛いのですがそれでも人の役に立ちたくて、寝る時間も娘と過ごす時間も全部捨てて何ヶ月も先までスケジュールを埋めて働き続けました。

生きている事を許可して欲しい私がこの期間に学んだのは「 投げっぱなしの愛 」ではなく経過をもらえる事、何ヶ月も後に会うお客さまが様々な奇跡を笑顔で報告してくれ、少しずつ「 役に立っているのかも知れない 」と思えるようになりました。

視えない世界ととことん真面目に向き合う事を選んだ私は、自分の命を軽んじていた事もあり、罰を恐れず、神々に反発したり、理屈がわかるまで徹底的に話し合う事をするようになりました。

いつウソツキになるか?わからないようなお仕事なので、どうしてもきちんと口頭で説明出来るようになりたかった。

5歳の子にも90歳のおばあちゃんにも伝わるような伝え方を考えながら伝え続けていきました。

そうして今に繋がるのですけど。